なぜ、望まない延命措置は減らないのか?我が家の実例から思う事

興味深い本を読みました。
『フェルドマン博士の日本経済最新講義』。

大手証券会社のチーフエコノミストで、
経済ニュース番組でもコメンテーターとして活躍している
ロバート・アラン・フェルドマン氏の著書。

日本経済を立て直すために何が必要か?について
分かりやすく解説してくれている本です。

その中で、
特に重要なのは社会保障費の使い方の見直しで、
高齢者の医療に過大に使われている現状を変えなければ
未来はないという考えが書かれていて、

その原因は主に
「病院側が病室の稼働率を上げるために
過剰な措置をしている」
(そうしないと利益が出ない)
という体質と、
「終末医療のあり方に問題がある」
事だと。

その辺りのことは、我が家も姉を癌で亡くした時に
十分実感したので、本当によくわかります。

逆に、それまでは病院と縁がなかったので
全く知らなかったんですよね。。。

わたしの姉は、5年前に癌が見つかり、
その時点で既に最終段階まで進行していて、
完治を目指すのは無理な状況でした。

医者には、抗ガン剤や手術で少しでも寿命を延ばそう、という
治療の方針を、最初から説明されていました。

そして、はじめから姉は
「病状が進んだ時、人工呼吸器などの延命措置を望まない」と
家族にも医者にも宣言していたので、

2年の闘病の後、
いざ、本人が衰弱してきた時に、
うちの家族は延命治療を断ったんですが。。。

そこで医者に言われたのは、
「延命治療をしないなら、病院には置いておけないので
すぐ退院して下さい」
という言葉でした。

まー、ビックリしましたね。
つまり、「医療行為」をしない相手は「患者」ではないので、
病室を提供できないという事らしいです。

つまり、現状で「延命治療をしない」という選択をした場合、
自宅に引き取って家族で最期まで面倒をみるか、
保険のきかない「ホスピス」に
入居させるか、という選択肢しかないわけです。

逆にいうと、
「延命治療」を頼みさえすれば、
医療費控除と保険会社からおりる保険金で
病院ですっかり面倒見てもらえる、ということ。

延命治療をすることによる家族の負担と、
望まない場合の家族の負担。

この場にくるまで、わたしは延命治療を続ける方が
負担が多いに違いないと想像していたんですが、
場合によっては、そうとも言えないんだという事が分かって
本当に驚きました。。。

結局、姉の場合は
空きのあるホスピスが見つかり、そちらに入居させてもらえて
2ヶ月後、静かに息を引き取りました。

その時、両親は
「姉が使わずに残していた退職金(病気のために辞めた会社の)が、
ちょうどホスピスの料金と同じくらいだった。
あの子は最後まで自分の面倒を自分でみた、大したもんだ」
と呟いていました。。。

実際、我が家は両親共に貯金もなく、年金頼りの生活だし
(商売で失敗して自己破産してるので)、
わたしも弟も薄給の身で、
情けない事ですが
とても姉の最期を支えるだけの財力はなかったんです。

姉が自分でちゃんと保険に入ったり、退職金を残したり
してなかったら、
姉の最期の希望を叶えることは出来なかった。

きっと、「延命治療」を頼んで病院に置いてもらったでしょう。

もちろん、本人が延命治療を頼んでいた場合もあるでしょうし、
家族が最後まで望みを捨てたくない、という場合もあるでしょう。

全てが同じ事情ではないでしょうが。

結構多くの人が、
やむ終えない事情で「延命治療」を選んでいるかもしれない、と。

そういう事もあるんじゃないか?と
頭の隅に置いてほしいな、と思って書きました。

現在、終末医療というと、
死の瞬間まで何らかの「医療行為」を行っている状態の事なんでしょう。
これが医療費の中でも大きな割合を占めているようです。
(9割国が負担してくれる訳ですからね、高齢者なら)

ホスピス的な看護も保険の範囲内にしてくれたら、
そして、入院の時にでも延命治療を望むかどうかを
しっかり確認するのを義務付けてくれたら、
逆に医療費は下がるんじゃないでしょうかね?

どうなんでしょうかね?

Posted from するぷろ for iOS.

Follow me!